ギターのリハビリ

        ギターのリハビリ
過去記事シリーズ化11 改訂版です

 学生の頃、主に中学の時はギターばかりいじっていたが、実は思いっきり壁にぶつかっていて、ギターでは世の中の強者には及ばない事をよく理解していた。

 普通の人より上手に弾ける、そんな程度だと分かっていた。だけど音楽ってのが好きで、みんなと一緒に歌ったり弾いたりするのが心地よかったので、別にこのままで良いではないかと思っていた。

 音楽で食っていけるほどの者ではないと認識していたのだと思う。

 あ~それなのに、サッカーと音楽にどっぷりと、つかり放題だった自分の高校の成績では卒業後の就職も行き先はなく、函館から出ていく事を選択した。
 そんな自分が東京へ行く時には、好きだった彼女もギターもなく3月末の寒い中、愛車の「おさと」さん(数年後友人の弟に身請けされていったバイク)と一緒にフェリーに乗り、青森から東京まで震えながら右手のアクセルを握り続けていたのを思い出す。

 勉強は余り好きではなく、スポーツだってそれなりで、活かせる技術も持たない自分が、自分の力で生きて行けるようになる事を理由に東京へ逃げて行ったのだ。

 そう、まだ日本はバブルに突入しておらずオイルショックというやつから年月が経っておらず、経済状況が芳しくなかった。もちろん、それだけの所為ではない。

 出来の悪かった自分は当然と言われてもおかしくなく、地元での優良企業への就職なんてある訳もなく、都会の専門学校へと進む事を決意した訳である。

 しかも当たり前のように親に金を出させ、住む場所も決めずに、荷物は後で送れと言い残して旅立つあたりが世間知らずのお子様であった事がここで明らかになった。
 東京での生活の事はそのうち書く事にして、住んだ場所は阿佐ヶ谷風呂無しアパートで、隣には優しいOLのお姉さんが居て何かと話し相手になってくれたが、しっかりとお子様として認定されていたみたいだ。

 そのアパートから2駅離れた所に通学した専門学校が調理師養成校であり、バイトも調理関係だったという事で、突然元のギターの話に戻るのだが、秋津に音楽好きのお兄さんがいて、その方が音楽好きで憂歌団を教えてくれた事を付け加えておきたい。

 それで、なんでギターをまた弾こうかと思ったのは、YouTubeでいろんな動画を見ているとギターソロでのカバーが多くの人からアップされているのに見て、あっ自分も弾きたいと思ったのがキッカケである。

 当初、指が痛いと、このブログのどこかに記載しているが、ホントに痛くてたまらなかったが、リハビリと思い押さえ続けた結果、今は平気になってきており順調に進んでいる。

 コード弾きは問題ないと思うが、右の指がうまく弦を上手く弾いてくれないのが現在の課題となっている。

 ここだよ、ココっていくら教えても、やだー間違えちゃった~って甘える様子は、間違いなく以前よく見かけた出来事であった。  あ~ 胸が痛い