厄年ってなんだろう

        厄年ってなんだろう
 厄年について検索したら、いわゆる数え年(出産時で1才)が本筋だという説と-1の実年齢である普通の説。後は文字の違いで意味が変わる厄年と役年という説があった。何故に検索したかは私の年齢がその辺に当てはまるからだ。

 実をいうとそんなに神事に興味はないし新車のお祓いもした事は無く初詣も自分からではなく付き合い程度で、数える程度しか行っていない。七五三には連れていかれたが自分の意志ではない。

 ただ厄年については確立的に各年代層によって、その人にとって余りよろしくない、主に体力的な部分での思いもよらぬ出来事が集中する期間ではないかと云う説には賛同できる。そうです私は過ちを侵す頻度が高く、それを糧に科学的に生きる人間だったのです。

まあ、そんな感じで自分が生きている今の生活現状においては、衰えによる変化に対応できない事故等の、いわゆる災いと言われる事の起きる確率が集中する時期なのではないかと云う事で、いったいいつまでよ、と終結日が気になり検索した次第です。

 結果的には年齢基準双方の見解を認めて判断すると最大来年一杯はその期間となと分かったが特に何をしようとする訳でもなく、もう一つの役年の方に興味を持つわけであります。
 ”やく年”という言葉自体はかなり昔(平安とからしい?)から現代まで使われている事から、その時々の人々にとっては重要な出来事である事は間違いないとして、何故二つの言葉ができてしまったのか。

 役年というのは大昔各村々には今で云う役所を兼ねた神社はあったが専門の神官がいないところが多く、村人の主だった者が交代で行っていたそうだ。

 つまり うわ~来年から俺がやるのか、面倒くさい とか とうとうわしの時代が来た とか思う村人が居たと思われる。

 つまり 来年から俺がやるのか と思った人にとっては厄年であり とうとうわしの時代が来た と思う人にとっては役年だったと云うのが自分の見解である。自分は当然前者である。

 20代後半、40代や50代後半とかは会社でも普段の努力から役職がちらつき、その人の職場環境や考えによっては面倒と思うか、しっかりやろうとか思う訳で、ここでも役と厄が存在する事となり、多くの人はこの場合、前者の役を選択し奮闘する訳である。

 さて、役年説を信憑性が感じられない自分の科学的センスから見て、自分の年代に何を求めてるんだと問いたい。ホントは厄年なんじゃないの?・・・と。