やじさん旅立つ

 やじさんは金縛りの真っ最中であるが、2週間連日続いている事もあって徐々にこの状態に慣れてしまい、今では金縛り中にも関わらずある程度自由に動くことができるようになっていた。
 自由に動けると言っても意識部分だけであって体そのものは寝たままなので、見ようによっては霊体と捉えられてしまうかも知れない。

 金縛りとは睡眠状態で脳の体を動かす部分は休止しているが意識部分が覚醒している事だという説がある。 つまり意識がいくら頑張って動こうとして、もがいてみても体は通常どおり寝ているのだから、体と一体となって動く事の出来ない意識は焦って何者かによって拘束されていると錯覚してしまい、UMAによる仕業ではないかと現代まで語られてきたと推察される。

 が、やじさんは連日の金縛り状態から、たまたまではあるが意識部分だけを巧みに操作する事を学び、短期間にこのスキルを育て上げ睡眠中の自由を手に入れたのである。
 一見便利そうなスキルのように思われるが今のところ物理的な行動が未熟であるため、つまり物を掴んだり動かす事が出来ないのでドアを開けられずに部屋の中をウロウロする事で経験値を貯めて、レベルアップに結び付けようとコツコツと単純な作業に集中している所だ。

 そのため部屋の中には深夜だというのに物をしっかり掴めずに落としてしまった物音や歩くたびにギシギシと音が響き、一人暮らしでなければラップ音と勘違いされ、事故物件として扱われかねない状況となっていた。
 そうである、物に触れ掴む行為は出来ないが落とすと云う事が出来、足の上下運動によって存在している事を床に伝える事が出来るようになっていた。恐るべし執念であると、いや集中力であると言わねばならない。

「なんだな もう少しで動きそうなんだけどな」

 ドアノブに両手で覆いかぶせるように右へ左へと独り言をつぶやきながらその動きを止めた。
「これってタッチパネルなら操作できんじゃねーの?」
 と外にはまだ出られないと唐突に判断し、一旦パソコンで遊ぶ方向へシフトし、違う手段からスキルアップを目指すようである。

 確かに、何かに行きづまった時には視点を変えてみる事も有効な選択肢であり、新しい発見へと繋がる可能性を否定する事は出来ないのである。
 そう決めたやじさんは翌日にタッチパネル操作が可能なモニターの購入を躊躇なく決断する事になった。

 やじさんについて多少説明しておこう。年齢についてはこの物語の中で不詳となってしまう事になるのだが、現在時点では48才の立派なおじさんで、血液型はAB型、子供3人はすでに独立しているバツイチ独身である。

 つい先日までハローワーカーであったため無職ではあるが親の残してくれた家に住み多少の貯金を切り崩しながら生活しており、求職中ですとは世間様に言ってはいるが面接などには一度も行っていない、履歴書も買ったままと云う、ごく普通のダメなおっさんである。

 あ~そう言えば、やじと云う名は長年やっていたオンラインゲームのアバター(キャラクター)の名であり本名ではないが、ネットでは面倒くさいので、全てやじで通している。たまにNameが被る時は仕方がないのでアイラインと称している事を付け加えておこう。

そして翌日の深夜すべての準備が整ったのか、やじさんの身に変化が起きるのであった。

 朝、あまり早くない時間に起きたやじさんは恒例の準備体操とストレッチをこなし、朝食兼昼食を摂り日課の散歩の最中に今日購入するモニターについて考えるのであった。
 やはりいつもニコニコ現金値引きで行こうと腹を固める様子は無駄な行動と思えるが、おやじにはそれなりの買い物へ対するルーチンと云うものが存在し、そこは引き下がれない所なのであろう。

 ブツを手に入れた男は目立たぬようにさり気なく玄関前へと車を止める。男の住む地域は住宅街となっており、そこら中窓だらけなので常に誰かに監察されているのではないかと云う不安からなのか、無職と云うステータスに慣れていない所為なのか、無駄な買い物をしているのではないかと云う心中をご近所に知られたくないのだ。
 誰もそんな事を気にもしていないのに、男の気持ちなんぞ知った事ではないと云うのに男はブツを抱え、出来るだけ、さりげなく家の中へと姿を消し、鍵をしっかりとかけるのであった。

 慣れた手つきで新たに購入したモニターの包装を解き放ち、鼻歌交じりで交換する速さだけは、その辺のおやじ達とは一線を画すものがあり、職場でのPC絡みの作業では案外重宝がられた存在であった事を思い出させる。
 ともかく作業をこなし終えたやじさんは深夜に行われる起動の段階で、もたつかない様にスリープモードとし、芋焼酎をお湯割りで頂きながら後で行われる手順のイメトレ後に就寝した。

 どれ位寝たのであろうか、数時間後に己のやるべき事に気づいた後は、金縛り中の意識離脱スキルを使い、浮幽霊の如く移動してパソコンの前に座った。顔を覗くと普段とは違う笑顔が、日常とは違う世界を実に楽しそうに過ごしているように見える。
 やじさんが起動したPCモニターに現れた幾つかあるゲームのショートカットアイコンの一つに触れようとすると

「んっ なんだ? 指が動かん」

 よく見ると、触れようとした場所へ周りのゲームアイコンが吸い寄せられるように動いていく。静電気がモニターに影響を与えているのか、指先から薄っすら伸びた小さな小さな稲光の先へと。

 そして全てが一つとなった時、やじさんの意識はモニターへと吸い込まれ、PCの電源は何事も無かったように静かに落ちた。

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