最後の約束はいつだった?

感化されやすい俺(/ω\)

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ネット小説を読んでいたら、ゆびきりげんまん嘘ついたら針千本飲ます、ゆびきった、のくだりがあったので少し懐かしく思い調べてみた。

戦で同士討ちがあった時、「指切の刑」に処されたと鎌倉時代の吾妻鏡に書かれているそうだ。

その後、吉原の遊女が、あなただけは特別と告白する時、自分の小指を切り渡したとある。

この風習が指切りとして広まり、約束を果たせなかった時に、げんこつ1万回のげんまん、そして針千本飲ますが加えられ現在まで伝わり、死んだらごめんの続きもあるよ、となっていた。

そうだ、死んだらごめんもあったなと思い出す。

昔小さい頃、明日も遊ぼうねと約束した事はないか? 学校にも通ってない場合は天気であれば問題ないが、親の都合や雨の日等どうやって遊びに行こうかと小さな胸であれこれと考えたのではないだろうか。

純粋な俺(*ノωノ)

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約束は何事もなければ達成できるが、困難な課題が生じた場合には自分の試練となってしまうのである。

もちろん約束した相手も同じ状況に立たされている訳だが、小さな子供の場合は冷静な判断など出来る訳がないので、申し訳ないとの気持ちだけが先立つ。

あ~、俺ってなんて純粋なんだろう?

誰の迷惑もかえりみずにただ己の思いを突き通す志はあっぱれである。

だが、これは翌日に遊べた場合である。

小さい子供に翌日の予定など伝える親は、自分の幼少時代には多分居なかったであろうし、雨の日に泥だらけとなる結末を良しとする事もなかったであろう。

大人の事情で約束を違えなかった幼き子は数知れない時代であったのかもしれない。

今はどうなのかは分からないが、お友達と遊ぶ場合は親の許可を得てからがお約束なのかもしれない。

指切りの効力は永久保証?

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あの頃の約束の不具合はお母さんが、お父さんが、とのいい訳で全てナッシングだったのは、自分に置き換える資質があったからだろう。

自分の身に置き換えて考える事が出来る子が大勢を占めていたのだ。

そこらへんは今の子はもっと理解していると思うし、子供も進化していると思うが、最近小さな子と約束をした記憶はないので実際は分からない。

ネット小説では再会を誓って指切りをし、それぞれの目的に向かうのだが信頼関係があるから出来ていると感じた。

明日も遊ぼうね、という子供の約束とは違う、再会というより君なら目的を果たせるはずだという期待を互いに約束しているのだと。

世の中の偉い人たちも指切りを思い出して約束を果たせばいいのに、そんな偉そうに言える自分ではないが、思う位はいいだろうw

そういえば、最後に指切りしたのって、いつだったのだろう?

それ、ひょとして守って無いんじゃない? (/ω\)ワカラナイ