そんな男の思う事
成長できない事もある
自分にはお絵かきの才能や写真撮影のセンスがない事は何回もブログに書いてきたが、ファッションセンスがない事を告知し忘れていたので今回書き止めておくことに。
子供の時は買い与えられた物を着用し、中高は学ラン・ジャージ、仕事をし始めてからは制服が支給されていたし、通勤は車だったので、今の自分には普段着と言われる定番の地味な服しか存在しない。
さすがに礼服と対役所用のジャケット位は持っているが、いわゆるお出かけ用とかのおしゃれな部類は持っていないのである。
というより必要としなかったが正解か? そんな自分が無職になり時折感じるのは、小奇麗な“じじい”がいいんじゃない? というコンセプトである。
己を悟れ
だが60を過ぎたある日、アウターを買い求めに言った時、なかなか選べない事に気づいたのだ。そう、こんな感じが良いという具体的なイメージを持っていない事に。
仕方がないので、その時はグレーのツートンのジャンパーを買ってきたが、理由は多分、何にでも合うだろう的な安易な考えであった。
そう衣服にも統一性や整合性がみられなかったという事だ。
たしかに一つ一つ眺めるとおかしなところは無いが、それを集合体として認識させるという事を考慮できないのだった。
考えてみると、全てにおいて中途半端だ、何一つ極めたものがない残念なおやじである。
まあ、目立たないように地味な色彩で固めることが出来たら、人様に避けられる事はないだろう? そう思う事にすると少しは気が楽になる。
そもそも服とは身体の保護や保温のために身に着けるのだから、その機能を有していれば服として認められるものだ。
そして、その次に動きやすさやデザインが求められる筈なのだから、多少疎くても仕方がないと思わないか? と開き直る俺であったw
迷ってはいけない
まあ、自分にとって服のセンスなんて、それ位の価値なのだ、言い訳だけどね。
う~ん小奇麗なおじさんにはなりたいが多分無理だろうだから清潔感のあるおじさんにコンセプトを変更するか? これなら可能性が残されている、せめてぽっちゃりお腹を引っ込めておこう。
あ~、センスのないおやじの明日はどっちだ?
せめて、味のあるおやじ? 味わいのあるおやじ? 噛みしめれば分かるその魅力? いや~、それは汚いかw
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